外伝1 宵に出会う 3


 リューンと名乗ったその少女――、いや少年は、実に掴み所のない、食えない人物だった。
 ずっと独りで旅をしてきたとは言え、いろんな人物を見てきたつもりだ。だが、こんなタイプは初めてだった。
 自分のことは何一つ語らない。それは自分とて同じことではあるが――
 それにしても、この並ならぬ威圧と魔力。見た目はただの華奢な少女、なのに一瞬もスキのない身のこなし――美しい深い碧の瞳は穏やかだが、時に氷のように冷たい光を放つ。
 気軽に話しかけられるような気さくさと、何人も寄せ付けない氷の美貌を、彼は併せ持っていた。
(――まあ、なんにしてもオレには関係ない――)
 胸中で吐き捨て、彼はどんどん洞穴を下って行った。その少し後をリューンはきょろきょろと辺りを見回しながら着かず離れずついてくる。
 一見なんでもないその行為が、だが恐ろしく難しいことであるのは少年自身が一番よくわかっていた。
「……まさかとは思うが、お前はトレジャーハンターか?」
「そう見える?」
 肯定とも否定ともつかぬ言葉で以ってリューンが答える。にっこりと、天使の笑みを浮かべて。
「……見えないね」
 短く答え、彼はそれ以上何も言わなかった。言ったところでどうなるものでもない。
 この際、どうでもよかった。
 彼――リューンが、この古代遺跡へと続く洞窟を、はりめぐらされた全てのトラップを難なく避けてスイスイ自分についてくることもこの際気にすることではない。
 面倒がない分楽なだけだ。
 彼がトレジャーハンターだろうが盗賊だろうが騎士だろうが王族だろうが、そんなことは関係ないのだ。……リューンの場合、そのどれにも見られなかったが。
 強いて言うならば"良家のお嬢様"あたりだろうが、わざわざそんなことを言って彼を怒らせる気もない。
 長い黒髪をなびかせながら、少年はただ黙々と歩いていった。
 が、その静寂はほどなく破られる。
「ねえ、トレジャーハントって言ったけどさ。何の宝を探してるの?」
 リューンがのんびりと問いかける。
「……とびっきりの宝さ」
「"古代秘宝"……?」
 沈黙がそのまま肯定となった。
「……やっぱりね。まさか君、セルティ兵……なんてことは」
「冗談じゃない」
 唐突に振り返り、少年が呻く。その深紅の目の奥には、リューンでさえ怯む程の憎悪が渦巻いていた。
「セルティ……いつかはオレが潰す国だ。兵も、あの将軍も、皇帝もみんな、オレがこの手で殺してやる」
 ――セルティ帝国。草原の大陸ラティンステルにあるその帝国は、ここ数年世界最高峰の軍事力を誇っている。その力は精鋭の騎士団で知られるランドエバー王国を凌ぐほどだ。
 その大帝国が古代秘宝に以上なまでの執着を見せていることは周知の事実。
 セルティと少年との関わりなどリューンには知る由もなかったが、彼のそんな態度にリューンは背筋が凍りつくのを禁じえなかった。だが恐らくリューンでなければ――
 ただの街人や、下手をすると一介の兵士でさえ――その威圧には耐えれなかっただろう。
 一目散に逃げるので精一杯だったのではないか。
 いや、彼の中にもそんな衝動が皆目なかったと言えば嘘になる。だがそれでもリューンがそんなことを微塵も顔に出さなかったのは、やはり只者ではない所以だろう。
「――それは困るね。皇帝は生かしておいてもらわないと」
 こちらを睨めつける少年に、負けじとばかりにリューンも隻眼を細めた。
「……ぼくが奴を殺す為に、ね」
 今度は少年が先ほどのリューンと同じ思いを味わうことになる。だが、彼は怯む代わりにふっと口の端をつりあげた。
 ――戦えば、恐らく互角――
 この少女のような少年は、今世に名高いセルティの女将軍や、ランドエバーの英雄にも決して引けを取らないくらいの力はあるのではないか。そう、かつて≪漆黒の悪魔≫と呼ばれた傭兵、リュカルドくらいの力は――。
 少なくとも「皇帝を殺す」などと平気でのたまえるくらいには度胸がある。
 少年は少なからず興味を引かれた。本気で戦ってみたい、そんな危険な欲求を今ここで満たすつもりはないが、笑みの正体はそこからきているものに相違なかった。
 ともあれ少年は再び前を向くと、また歩き出す。
「……そろそろだから、そのつもりでいてくれ」
 忠告すると呆れた声が背後から返って来た。
「何の説明もなくていきなりそれ?」
 その言葉に、初めて何も言っていなかったことに気付く。
 咳払いをひとつして、少年は歩調を緩めないままに、淡々と語り始めた。
「……今向かっているのは、古代秘宝が安置される古代神殿だ。よって当然、古代人によって仕掛けられたトラップが、ここよりももっと緻密に張り巡らされている。厄介なのが、精神方面に作用する攻撃。ところが秘宝を守護するものがそっち系」
「ふーん……それで、ぼくのマインドソーサルの力に目をつけたってワケか」
「まあ、そういうわけだ。どんな力を持つ古代秘法かは知らないが、古代人が守護者までつけて護ろうとしているものをセルティに奪われるわけにはいかない」
 断言する少年の横で、少し悪戯っぽくリューンは笑った。
「あのさ、ぼくが失敗したりしたらどーするの?」
 だが、あくまで少年はクールだ。
「別に期待はしてない。ただ失敗してもオレはあんたを助けてる暇なんかねえし、もしあんたが変な行動をするようであれば――容赦はしない」
「はいはい」
 まったく信用がないことに苦笑しつつ、茶化すように返事しながら、リューンは徐々に迫ってくる出口に視線を向けた。出口。そう、なんの変哲もない、洞穴の終点だった。木々のざわめく音が聞こえ、 風がうっすらと頬を撫でる――
「何? これってただのトンネル……」
 だがぼやきはすぐに止まる。
「――ってわけじゃないみたいだね」
 かすかな魔力の抵抗に、リューンは深刻な顔で外の景色を眺めやった。
「へえ、気付いたのか」
映像(ヴィジョン)の魔法の応用……幻惑(イリュージョン)との融合かな。よくできてる。これってそのままいけば本当に外へ抜けられるよね」
「……やけに詳しいな。既に滅んだ魔法だってのに」
 感嘆の声が、少々の警戒を含んだ声に変わる。だがリューンの表情に、それを気にした様子はない。
「お互い様だよ? ぼくから見れば君だって充分怪しい」
「……ふん」
 少年はそれ以上何も言わなかった。ただだまって手をかざす。
 彼から静かに魔力が放出され、幻惑(イリュージョン)の魔法を中和する。
「……この魔法が解ければ……すぐ、敵の陣地だ」
 彼の警告が、遠く――聞こえた。
 遠く。

 ――遠く。