キシヒメ番外編:2008年掲載

「セラ〜、ちょっといらっしゃい」
 母の声に呼ばれて、セラはうたた寝から醒めた。寝ぼけまなこをこすりながら、母の元まで歩いていくと、彼女は見慣れないものを腕に抱えていた。細長い葉がたくさんついた植物である。
「これは、なんですか? 母上」
「ササという植物よ」
 上機嫌で、セラの母、ミルディンはその笹という植物を机の上に置いた。
「昔、友達に教えてもらったのを思い出したのだけどね。異国の行事で、この時期にササに願い事を書いて吊るすと願い事が叶うのだそうよ」
 はしゃぎながらそう言うミルディンは、まるで子どものようである。なぜこの時期じゃないとダメなのか、なぜ植物に吊るすのか、なぜ願いごとが叶うのか、サッパリ解らないのだが、解らないことが多すぎて聞くのも億劫だった。なので、黙ったままじっと笹を眺めてみた。願い事をかなえてくれるような洒落た植物にはとてもみえない、シンプルなものである。花すらない。
「はい、これ」
 まじまじと観察を続けていると、細長い色紙を渡された。
「これは何ですか?」
「タンザクと言うのよ。ここに願い事を書くの。一緒に書きましょう、ね」
「はあ」
 あまり興味のなさそうな娘に、だがどうにかペンを持たせると、それでも彼女はタンザクとペンを持ってのろのろと机に向かった。そして、あまり迷う様子もなく、さらさらとペンを動かしていく。
「……もう少し、字を綺麗に書くお稽古をしましょうね」
 覗き込まれているのに気付いて、セラは少し顔を赤らめた。基本的に、机に向かうことは好きではないのである。それよりは体を動かしていた方が楽しい。
「父上のような騎士になりたい、か。アルフェは喜ぶかもしれないけど、年頃の女の子とは思えない願い事ねえ。私がセラくらいの歳には、もう少しロマンチックなこと書いたわよ?」
「何を書いたんですか?」
 扉が開いたのは、ちょうどセラがそう聞き返したときだった。
「あ、父上」
 入ってきた人物を見てセラが声を上げると、何故かミルディンは開きかけた口を閉じた。心なしか頬が赤い。
「二人とも、なにしてるんだい?」
「願い事を書いています」
 短冊とペンを指しながらセラが言う。父は不思議そうな顔をしていたが、それはひとまずおいておいて、先ほどの質問を、もう一度セラは口にした。
「で、母上は何を書いたんですか?」
「え、えーと。世界が平和になりますように、かな?」
 明後日の方向を向いて、ミルディンが答える。
「それってロマンチックですか?」
「え、ええ。世界平和だもの」
 答えになっていない答えを返され、セラはしばらく腑に落ちない顔をしていた。だが、良いことを思いついて、顔を上げる。
「そうだ、母上。ラスを呼んできてもいいですか? ラスにも教えてあげたいです」
 セラの言葉に、ミルディンは途端顔をぱっと輝かせてこちらを向いた。
「ええ、勿論。呼んでいらっしゃいな」
 そう言うと、嬉しそうにセラは部屋を駆け出して行った。
「なんだかんだ言って、あの子も隅に置けないわね。ね、アルフェ」
「ああ、うん……というか、ごめん、よく話が見えないんだけど」
 嬉しそうに言われるのは良いのだが、まったく状況がわからずアルフェスが苦笑する。慌ててミルディンは説明を始めた。
「あ、ごめんなさい。昔ね、シレアに教えてもらったのよ。今頃の時期に、このササに願いを吊るすと叶うんだって」
「そうなんだ。それでミラは世界平和って書いたって?」
「あ、うん、えっと、うーん……」
 歯切れの悪い返事をする妻を不思議に思いながらも、アルフェスが短冊を手に取ってみる。
「じゃあ、僕も書いてみようかな」
「なんて?」
 興味津々に覗き込んでくるミルディンに、少しだけ考えてから、アルフェスは答えを返した。

「ミラとセラと、ずっと一緒にいられますように、かな」