13.虚無との邂逅2 〜救い〜

『汝、邪なるものか?』

 冷たく、だが美しい女性の声に、驚いてエスティは辺りを見回した。だが、誰もいない。
 狼狽するエスティをよそに声は続く。

『汝、力求めるものか?』

「……誰だ?」
 だが恐れなどは見せず、強気の光を瞳に宿してエスティは問い返した。

『汝の目の前に居る』

「古代秘宝!? まさか……」
 返ってきた答えに、エスティは今度こそ声からも驚きを隠せなかった。まさか。そう思うのだが、やはり周囲には人の気配などなく、信じ難いことでも信じるしかない。エスティはきっと箱を睨みつけた。驚愕はあっても畏怖や恐怖はなかった。それは、ただ幼いからに過ぎなかったが。
「……オレは古代秘宝がどんなものか見たかっただけだ。邪かどうかなんて知らないし、力なんていらない」
 ありのままをそのまま答えると、箱が震えるようにぶれた。

『ならば、汝は我の求めていた者。……受け入れよ』

「!?」
 咄嗟のことに、エスティが答えることはできなかった。だがそもそも、それは答えを求める問いではなかった。選択肢などなく、一方的な言葉は、選ぶことを許していなかった。
 突如巻き起こった光の濁流に、小さな体は成す術なく飲み込まれる。
「う……ああああああ!!!」
 膨大な知識が頭に流れ込んでくる――
 古代の力。
 魔道の流れ。
 力の使い方。
 デリート・スペル。
 暴発。
 そして、禁忌の古代秘宝。


 ――消去せよ。


 エスティの悲鳴にも似た叫びは、遺跡を後にしようとしていた父達の耳にも届く。
「今の声は……」
「エスティ!?」
 駆け出した父は、祭壇の前で倒れる息子を見つけた。その体を抱き起こしながら祭壇に目を走らせる。古代秘宝はもう、そこに無かった。

 それから後、エスティはどうやって遺跡を出たのか覚えていない。だが知識と力だけは確実に残っていて、悪夢でないことを証明してしまった。だから、彼はその知識通り動いた。ただひたすらに、エインシェンティアを探し出し消去して――――


「ずっとおまえを探し続けてきた。なのに、皮肉なもんだ。その間に、オレの村がお前に滅ぼされていたなんて」
「……」
 エスティもまた、自らのエインシェンティアを完全に制御はできていない。あのときラルフィリエルに出会っていたとしても、止める術などなかったのかもしれない。それでも、この運命の皮肉を嘆かずにはいられなかった。重い息を吐き出して、それから深く息を吸う。

『“……我が御名において命ず。冥界の深奥に住まう冥府の主よ”』

 静かにエスティがスペルを紡ぎ始める。それを聞いて、ラルフィリエルは微かに笑みを浮かべると、涙を拭き瞳を伏せた。

『“我が魂を喰らいて……”』

 これで仇が討てる。家族の、故郷の皆の。そして、彼女に命を奪われた、幾人もの人達の――なのに、悦びも満足感もない。

『“出でよ……”』

 声がかすれる。

『“汝の力で以って”』

 だが、もし、彼女が誰を殺すことも拒んでいたら?

『“彼の力を”』

 もし全てに背を向け、自分の命を絶っていたら?

『“死兆の星の彼方へと”』

 今、自分もここにはいない。

『“還さん……”』

 スペルと、印が終了する。
「ラルフィリエル……」
 瞳を伏せたままの彼女に、エスティは問いかけた。
「あのときも、泣いてくれたのか?」
 エスティが言うあのときがどれを指すのかなど、ラルフィリエルに明確にする必要はなかった。紫水晶の双眸を開く彼女の瞳からは、今も涙が流れている。答えはなかったが、エスティにもそれは必要なかった。その涙が答えだ。
(あと一言で終わる)
 二人の脳裏に同じ思いがよぎる。
(あと一言で――)
 エスティは震えた。
 早く言うんだ、と心の中で自分が叫ぶ。だが、気付いてしまっていた。その心が、偽りだということを。

 ――君なら、シェオリオを救ってくれる。例えそれがどんな結果でも。

 リューンの言葉が頭に蘇る。
(こんな結果でも……お前はそう言いたいのか?)
 問うても答など返ってはこない。だが――
(違う。こんなのは――救いなんかじゃない)
 エスティは、手を降ろした。刹那に、力が霧散していく。
「……何を……? どうした、早く私を……!」
「できない」
 彼女の言葉を遮ると、エスティは真っ直ぐに彼女を見つめ、きっぱりと言った。
「何故……! 私は……!」
「オレはお前を消せない」
 うちひしがれる少女を、彼は知っていた。
 欲しくもない力を押し付けられて、自分の意思とは関係なく動かされ、翻弄される憤り。
(彼女は――オレだ)
 だから、惹かれた。だから、あのとき、レグラスで――彼女を殺せなかった。
 泣き出しそうなその顔が、幼き日、デリート・スペルを手にした自分と重なったから。
「ラルフィリエル」
 再び、その名を呼ぶ。
「もうお前には誰も殺させたりしない。お前が背負ってきたものは、全部オレが背負ってやる。だから、オレと一緒に行こう」
「な……ッ」
 一瞬ラルフィリエルの頭には言葉が浮かばなかった。だが、ふわりと剥がれそうになる心を押し込めて、言葉をかきあつめる。
「私は、皇帝の殺人人形だぞ!?」
「違う」
 叫ぶ彼女の言葉を否定する。
「私は……お前の仇だ!」
「……違う」
 再びエスティは首を横に振った。
「私は……! 私はあの人を……!」
 ラルフィリエルががくりと地面に膝をつく。その体は震えていた。
「……リューンは……死んじゃいない」
 うずくまって震える小さな体に優しく声をかける。
「だから……一緒に会いに行こう」
 泣きじゃくるラルフィリエルに手を差し伸べると、彼女はこちらを眩しそうに見つめた。

「……私は。生きても……いいのか?」
「死んでは駄目だ。そんなことは……オレが許さない」

 ためらいがちに伸ばされたラルフィリエルの小さな白い手を、エスティが掴む。
 そして引き寄せると、その細い体を強く抱き締めた――。