7.傭兵と騎士

 夜の帳が下り、やがて闇が薄らいできても、シレアは戻ってはこなかった。
「間に合わなかったか」
 エスティの言葉に、リューンはほっとしたような表情を浮かべた。
 もし本当にスティン王が生きていれば、シレアを覚えているかもしれない。それは、シレアの記憶が戻る糸口になるだろう。だが、果たしてそれがシレアにとって良いことなのだろうか。生きていてもスティン王はセルティの傀儡に成り下がった男だ。記憶が戻っても、シレアにとっては辛いことしかないだろう。
(……けど、結局。ぼくは、ぼくからシレアが離れていくかもしれないってことが、怖いだけかもしれないな)
 リューンは様々な考えを自嘲することで打ち切った。シレアをスティンに連れて来たくなかった理由は、最後のものが一番近い気がしたのである。
 そんな彼の胸中を知ってか知らずか、エスティが励ますようにポン、と彼の肩を叩いた。そんな二人の間の空気を、鋭い声が裂いた。
「だが、そもそもランドエバーが援軍を出してくれる保証なんかねぇぜ。嬢ちゃんは無駄足だったんじゃねぇか?」
 吐き捨てるような剣呑な色を含んだその声は、ルオのものだった。
「だいたい俺は王族や騎士なんか信用できねぇんだ」
「おい」
 アルフェスの手前、エスティがルオを諫める。だが、ルオは構わず次から次へと毒を吐いて行く。 「言っておくが、俺はあんたも信用しちゃいねぇぜ。“ランドエバーの守護神”さんよ」
 それまでは黙っていたアルフェスだったが、矛先を向けられてさすがに顔を上げた。
「……別に貴殿に信じてもらおうとは思ってないし、貴殿が私をどう思おうと勝手だ。だが我が国を愚弄するのはやめて頂きたい」
「自分のことより国のことかい。たいした忠誠心だな」
 ルオが鼻で笑う。
「頭の固い王宮騎士さんの考えてることはわかんねぇよ。まぁお前らが仕えてる王族様の考えてることはもっとわかんねぇけどな。あんたの姫さんだって内心何を思ってるか知れたもんじゃねぇぜ? 所詮騎士なんか王家に利用されてるだけさ」
「何だと!?」
 小馬鹿にしたようなルオの台詞に、さしものアルフェスも思わず怒声に変わる。彼の手が剣に伸びるたのを見て、慌ててエスティはその手を押さえた。
「やめろ、アルフェス。……ルオもだ。今はそんな場合じゃないだろ」
 二人の間に割って入ったエスティの声は、静かだが、鋭い。制されて、アルフェスは剣の柄から手を離した。元より抜くつもりなどない。ただ頭に血が登って、無意識に手が伸びてしまっただけだ。
「……そろそろ、時間だ。先に行って待機している」
 エスティにそう言うと、アルフェスはその冷たいアイスグリーンの瞳を再びルオに戻した。
「姫を愚弄することだけは、許さない」
 それだけ言い残し、走り去る。ルオとアルフェスは陽動を起こすはずの場所へ先回りして待機する手はずになっていた。それを見送りながら、エスティはとりあえず場が収まったことに安堵の息を吐きつつ、ルオを見上げた。
「ルオ。スティンにいたあんたが王を憎む気持ちはわかるけどな。あんな言い方はないぜ」
 やんわりとルオを諫める。
 彼の話では、スティンの王は和平の証明のため、多くの者を手にかけたと言う。それが、最終的に民を護ることに繋がったとしても――彼には納得できないのだろう。その憤りが王家を憎む気持ちになっているのだ。
「……」
 無言のまま、ルオもまたアルフェスの向かった方向へと歩いていった。
「……あの2人を組ませたのは、失敗だったかな」
「大丈夫なんじゃない。そんなことぐらいでしくじるような二人でもないし」
 渋面でぽつりと呟くエスティに、だがリューンはさほど心配はしていないようだった。柔らかい声に、エスティの不安も拭われる。確かに、私情に流されるような二人でもないだろう。
「それより、そろそろぼくらも行こう」
「ああ……そうだな」
 今更考えても始まらない。打ち合わせどおり、彼らもまた、王城の方へと駆けた。




 予めルオから聞いていた、陽動を起こす地点の付近に身を潜め――アルフェスは浅く溜め息をついた。もちろん、気を抜くようなヘマはしない。あたりにはセルティ兵もうろついている。ここで騒ぎを起こしては、全てが終わりだ。
(――姫はご無事だろうか)
 警戒を緩めないままに、彼は祖国へと、そして主君へと想いを馳せた。同時に、先刻ルオに言われたことが頭をよぎる。
(騎士は、王家に利用されているにすぎない……か)
 さっきは咄嗟のことでカッとしてしまったが、本当のところはアルフェスにもその気持ちはわからなくもなかった。丁度そんなときに背後に気配を感じ、アルフェスは口を開いた。誰が来たのかは、気配の種類で解る。
「……さっきはすまない。つい、頭に血が登ってしまった」
 突如かけられた思いもかけない言葉に、騎士の背を見ながらルオは驚いて足を止めた。咄嗟に言葉を返せずにいるルオに、アルフェスが続ける。
「騎士は王家に利用されていると、そう言ったな。私も、昔はそう思っていた。私は騎士の家系に育ったから、格式と名誉を重んじ、王家に忠誠を誓うことを小さい頃から叩き込まれてきた。だけどその意味がわからなくて、騎士になんかなりたくもなかった」
 当時のことを回想しながら、アルフェスは訥々と語った。
 剣術は、好きだった。だが、強制される道は苦痛だった。
 剣を学べと言われる。
 王家を敬えと言われる。
 名誉を守れと言われる。
 全てが押し付けで、全てが疎ましかった。そこに、自分の意志など介在しなかったからだ。
「だから、貴殿の気持ちもわからなくもない。――だが、私は姫が王族だから忠誠を誓っているとか、王家だから敬うとか、そういうわけじゃない。姫は心から国と民を愛しておられる。それを知っているから、私は姫に剣を捧げている」
 振り向くと、ルオは笑みを浮かべていた。だが、先刻の皮肉な笑みとはまるで違うものだ。
「さっきのは、俺の失言だ。すまなかった」
 意外そうに目を見張る若い騎士を尻目に、彼は腰を下ろした。
「あんたや、あんたの主君を悪く言うつもりはなかったんだ。だが……俺にはそうとしか思えなかったんだ。自害せよと命じられ、それに逆らうことなく従ったこの国の、哀れで愚かな騎士達を見たら」
 何故、そんなにも王に忠誠を誓うのか、ルオには理解できなかった。理解できるのは愚かな奴だけだと思った。
「……あんたはどうなんだ? 姫君に死ねと言われりゃあんたは死ぬのか?」
 予想もしなかったことを突然問われ、アルフェスは口ごもった。ミルディンが自分達に自害を命じるなど、想像もできない。――だが、それはスティンの騎士達も同じだったのだろうかと考える。その答えは知る由もないが、ひとつ解っている答えがある。
「死ぬ、だろうな」
 きっぱりと答えたアルフェスに、ルオが腑に落ちない顔をする。
「恨みはしないのか?」
「なんで恨む必要がある? 自分で剣を捧げると決めた方だ。迷うくらいなら最初から忠誠など誓わない。ただ思い残すことがあるとすれば、残された姫の身が心配ということだな」
「……死ねと言われ尚、その身を案じる……あんたはハナから王女を信じて疑わないんだな。騎士とはそういうモンなのか?」
 問われ、アルフェスは苦笑した。
「さあね。私は騎士に向いてないと思うし……。ただ、私は姫を信じている。そして姫を護ることだけが、私の全てだ」
 誇らしげに言い切るアルフェスを、愚かとも哀れとも、ルオには思えなかった。
「だが……あんたのそれは、忠誠というよりも」
「……?」
 怪訝な顔をするアルフェスを前に、ルオは、
「いや、なんでもない」
 後の言葉を飲み込んだ。
(……それは、“忠誠”というより“恋”なんじゃないか……?)
 そう思うのは、単に彼の主君が“王”ではなく“王女”だからというだけかもしれない。だがどちらにしろ、彼がそう思っていないのなら言わないほうがいいのだろう。
 王族と騎士の恋など、ろくな結末にならないのだから。
「ま、とにかく悪かったよ。さ、そろそろ時間だぜ。“ランドエバーの守護神”の腕前、見せてもらおうじゃねぇか」
「貴殿ほどの腕前ならば、私のような未熟な騎士の剣を見てもつまらないだろう」
 アルフェスがにっと笑う。アルフェスは、ルオが剣を振るうところは見ていない。だが、相手が只者ではないことくらい、その身のこなしや威圧感でわかるものだ。そして、それはルオもまた然りだった。
「あんたが言うと、ただの嫌味だぜ」
 せせら笑う彼の耳に、喧騒が聞こえてくる。「始まったか」、2人はいつでも飛び出せるように身構えた。