12.孤独と信頼

 咄嗟に張ったシールドは、大して意味を成さなかった。シールドごと吹き飛ばされ、エスティはしたたかに背中を打ちつけて咽た。 口元の血を乱暴に拭い、エスティは“セレシア”を睨み付けた。どうやら本気でこちらを始末する気になったらしい。
「奴さん、本気になったみたいだな」
 緊張感の無い声に顔をあげると、すぐ傍らにルオが立っていた。一緒に吹き飛ばされた筈なのに、その体には傷一つなく、息もあがっていない。化け物かと半眼になっていると、
「そんなヤワに鍛えてねぇよ」
 ルオがそんなことを言ってくる。「あんたはマインドソーサラーかよ」、とてもそうは見えなかったが、胸中を見越して声をかけてくる友人を思い出し、思わず呟いた。
「まあ、冗談はさておき。あんまり冗談じゃない状況だなぁ」
 かけらも困ってない顔で、ルオが困った声を上げる。だがさすがにそれは本心だろう。“セレシア”はもはや笑っていない。その彼女に、膨大な力が集まっていくのがわかる。魔法が苦手というルオでも、彼女を見れば感じ取れるだろう。
 次が来る。先ほどより遥かに協力な一撃が――
 それを感じ、二人は全身を緊張させた。だが、いくら待っても衝撃が二人を襲うことはなかった。その視界が銀色に染まる。
「ラルフィリエル!」
 銀色の光の中に小柄な少女の姿を見て、エスティは叫んだ。それと同時に、彼女の力が“セレシア”の力を打ち消したことを知る。しかし目の前に立つラルフィリエルが肩で荒い息をついているのに対し、“セレシア”は息一つ乱していない。力の差は歴然だった。
「いくらも保たない」
 そう言って後退する彼女に二人も続く。それを追うように、規模は小さいがいくつもの光が彼らを追って爆発した。
「……わたしが、奴を制御する。もう……彼女を」
 “セレシア”の攻撃をかわしながらラルフィリエルが早口に囁く。彼女が何を言いたいのか察して、エスティは鋭い深紅の瞳を彼女に向けた。その瞳の牽制に気付きながらも――ラルフィリエルはその先を続けた。。
「殺すしかない」
 また、爆音が響きわたる。
 巻き上がった瓦礫が体のあちこちを傷つけて、血が舞った。
「殺す……のか。指令以外で人は殺さないんじゃなかったのか?」
「なら、他にどうすればいい? そうしなければ、もっと多くの人が死ぬ」
「それは、天秤にかけれるものか?」
 責めるように言ってしまってから、エスティはどきりとして言葉を止めた。傷ついたようなラルフィリエルの表情が胸を抉っていく。
 あのとき見せたような泣き出しそうな顔――
 エスティが取り繕おうとした言葉は、ラルフィリエルの叫び声に掻き消された。
「……貴様に、何がわかるッ!!」

 ドンッ――

 ひときわ大きい衝撃と爆音が、二人を引き裂く。

 土煙りの向こうにエスティの姿が消えてしまっても、ラルフィリエルは動けなかった。
 頭が酷くぼうっとする。
(何を――考えていたのだろう、私は)
 視界が霞むのは煙のせいだけではない。それを悟って、慌てて手の甲で目をこする。
(今更……多くの人を殺めて今さら、この手を取ってくれるひとなどいる筈なかったのに)
 こすってもこすっても、はらはらと透明な滴は流れ続けた。無意味と悟って手を降ろす。
「わたしだって殺したくない」
 爆音と土埃の中、ラルフィリエルは何も見えない空を仰いだ。ただひとつだけこの状況に感謝することは、思い切り泣いても誰にも知られないことだった。耳がおかしくなりそうな轟音にまぎれ、自分にさえ慟哭は届かない。そうやってひとしきり泣きじゃくってから、今度こそラルフィリエルは涙を拭った。
「でも、そうしなきゃいけない。だから――殺せる」
 深呼吸する。炸裂する光が肌を引き裂き、だがその痛みで冷静になれた。
 ひとりで、剣を振るい続けてきた。
 そして、これからもひとりで剣を振るっていく。それだけだ。


 ――辛いと思うよ。今の君にはね――


 だがふいに、フラックスの輝きと共に頭の中をを声がかすめた。
 優しい瞳。
 彼はマインドソーサラーだった。心の弱さと虚をつく術。
 「わたしは――迷っているのか」
 呟く。
 真っ直ぐにこちらを見てくる深い碧の瞳が、頭に焼き付いて離れない。
 その目を見ることが出来なかった。
 涙を拭いて、目を閉じる。


 そして彼女は、輝きを放つアメジストの双眸を開いた。


「エスティ!」
 その声は、彼方から――だがはっきりと、エスティの耳に届く。
「……ラルフィリエルッ」
 応える。爆音のつんざく中、だがエスティもラルフィリエルにも、お互いの声はしっかりと聴こえていた。
「エスティ! “消去呪(デリート・スペル)”を使え!!」
「……!?」
 ラルフィリエルの言葉に、だがエスティは躊躇した。今の自分の力では、デリートスペルを使っても効果を成せない。意表をつくぐらいならできるだろうが、この状況ではそうできたところでどうしようもないだろう。消耗するだけ不利になると、そう言ったのは他ならぬラルフィリエル自身だ。
 そのエスティの躊躇が伝わり、ラルフィリエルは唇を噛んだ。だが意図を説明するだけの時間も余裕もない。
 募る焦燥の中、咄嗟に――ラルフィリエルは一言だけ、叫んだ。

「私を信じて!!」

 言葉は轟音を割いて、真っ直ぐにエスティへと届く。それを受けて――
 エスティは目を伏せると立ち止まった。閃光が腕を裂いたが構わず、迷わず彼は印を切った。

『我が御名において命ず。冥界の深奥に住まう冥府の主よ。我が魂を喰らいて出でよ』

 エスティがスペルを詠み出したことに気付き、“セレシア”が再び攻勢に出ようと力を収束させる。だが、それは銀の輝きで以って霧散した。
『ッ、小賢しいィッ』
 “セレシア”が忌々しげに唸る。“セレシア”とラルフィリエルの力の拮抗に、激しい火花が散る。
「……ッ」
 ラルフィリエルの頬を汗が伝った。力を使ってこんなに消耗したのは初めてだ。
 だが冷静になるよう務めながら、ラルフィリエルはそっと――呼んだ。今立てたこの作戦に、必要不可欠な人物を。
「……リューン」
「なに?」
 返事がしたのはすぐだった。この混乱した状況にあって、何故か、呼べば来てくれる確信がラルフィリエルにはあった。根拠など自分でもわからない。そもそもないのかもしれない。なのにリューンもすぐに応えるのが当たり前のような顔をして、そこにいる。
「エスティが、デリートスペルを使ったら、そこに生じるヤツの動揺を突いて、精神魔法でヤツとあの娘を分離してほしい。……可能か?」
「やってみるよ。きっと、できる。君ができると思うなら」
 彼女の髪に触れて、リューンは微笑んだ。その笑みに、何故か涙が出そうになる。
(私は、この人を知っている……?)

『汝の力で以って、彼の力を、死兆の星の彼方へと還さん!』

 リューンの手が髪から離れたのと、エスティの声とで、ラルフィリエルは我に返った。  土埃が晴れる。
 “セレシア”をはじめ、各々の姿がはっきりと見えるようになる。だが見えたのはそれだけではなかった。自分を狙ってほとばしる、すさまじい力の塊もまた、露わになる。
「――ッ!?」
 ラルフィリエルが全身を硬直させる。避けられない。
 だけど、やることがある。ここで、倒れるわけにはいかない。

 衝撃を覚悟して、ラルフィリエルは目を伏せた。