3.古代秘宝

 漆黒の長い髪を揺らし、現れたのは、まだ少し少年の面影を残した男だった。
「……怪しいものじゃないんだ。話を聞いてくれないか?」
 戦う意思が無い事を示す様に両手を上げながら、彼はそう言ってきた。
「どうやって入った」
 警戒を解く事も、問いに答える事もなく、アルフェスが鋭く詰問する。
「……東門の警備が手薄だったので、そこから」
 男は正直に答えてきたが、アルフェスは渋面になった。
「こそこそ忍び込んで、隠れて様子を覗って、怪しくないと?」
「隠れてたわけじゃないんだ」
 仲間であろうもう1人が、男の後ろから姿を現してすまなそうに言う。驚く程の美貌の持ち主だ。
「ただ、ちょっと声かけづらくって」
 彼がそう言い、最後の1人――こちらは年端もいかぬ少女だ――を見やる。彼女は少し困ったような顔で「取り込み中にごめんなさい」、謝ってきた。
「……ッ」
 やり取りを見られていたことに気付き、アルフェスが思わず絶句する。が、ミルディンは怯えることも驚くこともせず、くすくすと笑った。
「ごめんなさい。お客様でしたのね?私ったら気付かなくて」
「姫!?」
 このあからさまな不審者達に気さくに話しかけるミルディンをアルフェスが声で制すも、ミルディンに気にかける様子は全くない。
「大丈夫よ。彼らは悪い人ではないわ」
 何の根拠もないようなことをさらっと笑顔で言う。
 だが、アルフェスの目にも、彼らは悪人とは映らなかった。騎士隊長として人の上に立つ身である彼は、人を見る目は持っているつもりだったし、何より嘘や他意を嫌う、光の精霊が静かなのである。
 ランドエバーは光に守護されし王国という。
 彼女がそこまで断言するのは王家の者として、その光の恩恵を受けている為であろう。それでも彼が臨戦態勢を解けずにいると、黒髪の少年は無造作に腰に下げた長剣を鞘ごと外し、こちらへ放った。
「他の二人は、武器を持っていない。疑うなら、身体検査するか?」
 口の端をつりあげ、にっと笑う彼に、アルフェスは嘆息すると剣から手を離した。彼らに嘘が無い事は、始めから解っている。
「貴女が王女様?」
 アルフェスのそんな様子を見止めて、フラックスの髪を持つ美貌の人が王女に声をかけた。
「はい。私はミルディン・W・セシリス=ランドエバーと申します」
「……近衛騎士のアルフェス・レーシェルだ」
 まず自分が名乗れと言いかけたが、先にミルディンが名乗ってしまった。
 仕方なく淡々と名乗ったアルフェスだったが、
「え――――――――っ!?」
 沈黙を守っていた少女が突如目を輝かせて叫んだので、その表情に驚きの色を見せた。
「もしかして、あの有名な"ランドエバーの守護神"、アルフェス様ですか!? わたし、ファンなんです!!」
「……ファ……?」
 アルフェスが困ったように少年達の方を向く。
「へぇ……あんたが、あの有名な……」
 ブロンドに切れ長のアイス・グリーンの瞳を持つその騎士は、想像していたよりもずっと若く、優男だ、と黒髪の少年は思った。もっと屈強の戦士を想像していたのだ。2つ名を謳われる程の英雄には、とても見えなかった――外見上は。
 しかし、気を許しているように見えても、どんな些細な瞬間でさえ彼に隙はなかった。
 いや、隙を窺っているだけで――少しでも戦うことを考えるだけで、汗が滲み、足がすくみそうだ。
(それに、この光の強さは……何だ?)
 ランドエバーが光に守護された王国という話は有名だが、この騎士の纏う聖光は、王女のそれを凌いでいる様にすら見える。とにかく、彼の強さが噂に違わぬものであると言う事は、間違いないようだ。
「エス、シレア! 用件! 遊びにきたんじゃないんだよ」
 しびれを切らした声にエスと呼ばれた少年は我に返り、少女は、はしゃぐのを止めた。
「あ、ああ……そうだな」
 改めて、アルフェスの方へ向き直る。
「すまない、自己紹介が遅れたな。俺はエスティ。エスティ・フィストだ」
「あたしは、シレア・A・リージアです。こっちはあたしの兄で、リューン・S・リージア」
 指し示され、美貌の少年、リューンは微笑んで会釈した。すっと細まった瞳に魅了されかけて……だが、二人は腑に落ちない表情になる。
『……兄?』
 アルフェスとミルディンの声が綺麗にハモった。
「はい。よく間違えられますが、お兄ちゃんは男です」
 慣れた反応に、少女、シレアはいつものように答えて、リューンは渋面になった。
「……女性かと思ってたよ」
 アルフェスが思わずそう漏らした隣で、「私よりずっと綺麗なのに」、ミルディンはまだ信じられないような顔をしている。
「まあ、普通間違うよな」
 彼らに同調するように黒髪の少年――エスティは呟いたが、リューンに睨まれて慌てて咳払いした。
「……さて、自己紹介はもういいだろう。本題に入ろうか」
 皆の視線が自分に集まったことを確認すると、一呼吸おいてエスティは続けた。
「俺は回りくどいのは嫌いだから、単刀直入に言う。この国に伝わるという古代秘宝を、俺達に引き渡して欲しい」
 瞬間、和んでいた空気が一変し、緊張が走るのを、その場にいた全員が感じた。
 古代秘宝――それは、恐るべき力を秘めた、古代の産物。
 大陸中の学者がこぞって謎を紐解いているその秘宝の力を、セルティ帝国を初めとする列強の国々が競って奪い合い、この戦争が始まったことは、周知の事実である。
 エスティが言葉を言い終えた瞬間、騎士の冷たく透きとおった瞳は危険に細まった。
「まさか、貴様ら……セルティの」
 ほぼ無意識であろうが、アルフェスの手が腰に携えた長剣に伸びる。が、
「やめなさい、アルフェス」
 王女の、凛とした声がそれを制した。
 微笑みの消えた青い瞳が、エスティの視線を逸れることなく受け止める。
「……秘宝を手に入れて、どうなさるおつもりですか?」
 穏やかな口調と裏腹な冷たく凍った声と、真っ直ぐ見つめ返してくる恐ろしく澄んだ瞳の威圧に、シレアはもちろん、側に控えるアルフェスまでもが畏怖すら感じた。
(……なんてお姫様だ。こんな少女から、これほどのプレッシャーが……)
 目の前にいるのは、王女とは言え、まだほんの少女に違いはない。なのに、まるで戦場で歴戦の強者と対峙しているような錯覚さえ覚える。正直、驚きを禁じえなかったが、それを表に出すことはせず、エスティも深紅の瞳を細めた。その表情に笑みこそ浮かんでいるものの、瞳は少しも笑っていない。そんな彼の様子も、先刻までの彼とは別人に見えた。
「別に、どうもしやしないさ。俺としては王女、貴女がそれをどうかする前に、俺に渡して欲しいだけだ」
 彼女の威圧に怯むことなく、エスティも視線を逸らさない。
 見つめあったまま、ミルディンは静かに答えた。
「古代秘宝は、ここにはありません」
「……何?」
 初めてエスティの顔から笑みが消える。
「秘宝はここではない場所に封印されています。わたしはそれを持ち出すつもりも、誰に渡すつもりもありません」
 その揺ぎ無い意思を見て、しかし、エスティは退かなかった。
「しかし、セルティはそれが狙いだ」
 その思いが強いからこそ、その意志が揺るがぬものであるからこそ、エスティは不安だった。
 この幼い少女が強すぎるからこそ――
「強き姫よ。貴女はセルティに古代秘宝を渡してしまう」
「いいえ! 私は……!」
 ミルディンの声が荒くなる。対照的に、エスティは淡々と続けた。
「古代秘宝を、戦争に使ってはいけない。大きすぎる力が一つ所に集まれば、それは恐るべき破壊の力になる……セルティはそれを欲しているんだ。でも」
「その力を制御できるだけの知識も魔力も、今の僕ら……現代人にはないんだよ。だから、破壊の力が暴走すれば、また同じ歴史が繰り返されるかもしれない」
 リューンが穏やかにエスティの言葉を継ぐ。
 魔法の力で栄華を極めた古代の歴史は、皮肉にもその魔法の力で幕を閉じたのだ――その恐るべき力を用いて、人が争いを始めた、その時に。
 大陸の人間であれば誰もが知るその歴史を、リューンは言外にほのめかしていた。古代秘宝の力を用いて戦争をすれば、過去の二の舞になる、と。
「あたし達は、それを防ぎたいの」
 シレアが真剣な表情で訴える。
 困惑の色を浮かべるミルディンの傍らで、だがアルフェスはエスティの言わんとしていることを正確に汲み取っていた。
 セルティの狙いが古代秘宝というならば、主はきっとそれを渡してしまうだろう。そう考えて騎士は眉根を寄せた。
 強大な力、歴史の終幕……今しがた聞かされたそんな途方もない話よりも、今自分達はきっと、目の前で滅び行く自分の国を優先してしまう。
(ならばきっと、姫は民を護るため、己の首と秘宝を差し出そうとする)
 その、脆い強さ故に。
「……どう使うというのだ」
 訪れた沈黙を破ったのは――今まで沈黙を守り続けていたアルフェスだった。
 ミルディンが驚いたように彼を見上げたが、騎士は構わず続けた。
「禁忌だというその力……それを得たときに、お前ならどうする」
 アルフェスのその言葉を待っていたという様に、エスティはにっと笑った。
「俺? 俺なら……」