20.予感

 既にエスティ達の姿は見えなくなっていたが、二人は立ち尽くしたままだった。彼らの消えて行った城下の辺りを見つめながら、ミルディンがふと呟く。
 「良いのですか、アルフェス。本当は、彼らと行きたかったのではないですか」
 アルフェスに問うておきながら、だがそれは他ならぬ彼女自身の思いであった。
 エインシェンティア。世界の破滅。セルティ帝国。
 今自分たちの周りでは、想像もつかないような恐ろしいことが起きようとしている。
 ――それを、人知れず防ぐ者たち。
 自分は、この国の全てを見ていた筈だった。だけどそれは所詮ちっぽけな世界だった。この国を守ったところで、世界を守らねば意味などない。
 その為に、自分にも何かできることがありそうなのにとミルディンは思う。そしてそれ以上に、自分などよりも力を持つアルフェスなら、もっと彼らの力になれそうなのにと。
 だがアルフェスはあっさりと首を横に振った。
 「私の務めは、姫を守ることです」
 (……務めだから?)
 ミルディンは何とかその言葉を飲み込んだ。そんなことは、言っても仕方のないことだ。彼を困らせるだけ。寂しさを押し隠しながら、ミルディンは無理に笑みを作った。
 「いいのよ、別に。もう父上も母上もいないのだから、無理に務めを果たさずとも」
 「私が」
 ミルディンの言葉を遮るようにして、アルフェスが口を開く。
 「目を離すと、姫はすぐ無茶をされる。……あの時のような思いは、私はもう御免ですよ」
 「……」
 彼が聖域での一件のことを言っているとわかり、ミルディンは顔を赤らめた。そして、嘆息する。
 「……わたしが王女じゃなければ、あなたに迷惑をかけずにすむのに……」
 今まで殺してきた思いが零れる。
 王女であることはミルディンの誇りだった。――だがそれと同時に、ずっと疎んじてきたものでもある。
 そんな彼女の呟きを、しかしアルフェスは笑って受け流した。
 「あなたが王女であってもなくても、私はあなたを護ります。そしてそれは私の意志です――迷惑などである筈がない」
 驚いたような顔で振り返ったミルディンに、騎士は穏やかに、優しく微笑みかけた。そして軽く頭を下げ、城内へと去る。彼が行ってしまってからも、ミルディンはしばらくそのまま立ち尽くしていたが、
 「…………よしっ」
 気合を入れるようにそう言うと、王城へと力強く歩き出した。
 その瞳に、強い意志を燃やして。


 王座の上で、彼は少し身じろぎした。
 それは、さして珍しいことでもない。だだっ広い謁見の間で大半を過していれば、いくら彼でも退屈をする。
 透視の魔法で戦況を視たり、そこからちょっかいをかけたり、エインシェンティアの制御を奪い、暴発させたり――そうやって退屈を凌ぐのにも飽きてきた。だが――
 今は違う。今はもう退屈ではなかった。
 むしろ、彼は(たの)しんでいた。唇が、笑みを模る。
 そして、実際に彼は笑った。はずみで、長い銀の髪が揺れる。
 愉しい。愉しくて仕方ない。
 己の国の軍勢にも、どんな劣勢にも決して屈しなかったランドエバーも、手塩にかけた将軍に果敢にも――どちらかといえば、彼は無謀にもと思っていたが――立ち向かいそして尚今も生き延びている、『ランドエバーの守護神』とやらも、彼をそこそこには愉しませてくれた。
「だが、彼らが更なる愉しみを呼び寄せてくれようとはな」
 独白と共に、彼は立ち上がった。
 美しいアメジストのような瞳を細め、遠くを見る目つきで彼は嘯く。
「失われし古代呪、デリート・スペルを操る少年――せいぜい私を愉しませてくれ」
 ぞっとするような、凍りつく笑みと共に。