レイシェ様は約束通り、ニナにそれ以上何もしなかったし、あたしにも乱暴なことはしなかった。
 むしろ、庭園に連れていってくれたときと同じように優しくあたしの手を引いて、何食わぬ顔で城内を歩いていく。
 だからすれ違う人たちが異変に気付いてくれることはなく、レイシェ様は難なくあたしを城の外まで連れ出した。それからあたしは馬車に乗せられ、レイシェ様も馬車に乗り込むと、待っていたかのように馬車が動き出す。
 窓にはカーテンが引かれ、どこに向かっているのかはまるでわからない。

「怖い思いをさせてすみません。本当に、貴女に危害は加えませんから。それに、これは貴女にとっても良い機会だと思うのです」

 怖くて怖くて、震えそうになる体と必死に戦っていると、ふとレイシェ様がそんなことを言ってくる。
 いつものように優しい声音で、顔を上げて見てもレイシェ様の表情は、いつもの穏やかな笑顔だった。
 
「どういう……ことですか?」

 レイシェ様の言葉の意味はわからなかったけれど、その笑顔に恐怖心は少しだけ消えた。
 ニナにナイフを向けたときの、あのレイシェ様を思い出すと怖くなるけど、今のレイシェ様を見ていると別人のような気がしてくる。そんな自分は大概甘いと解ってはいるけれど。

 聞いてみると、レイシェ様は自分の膝の上で手を組んで、こちらに身を乗り出すようにして答えてくる。

「危険を冒してでも、レオンが貴女を取り返しに来るかどうか。貴女も興味があるでしょう?」
「……危険って、どういうことですか? 何をするつもりなの? レイシェ様は、レオンの親友なんでしょう?」

 探るような翠の目から視線を逸らして、あたしは答をはぐらかした。
 すると、レイシェ様はふふっとおかしそうな笑い声をあげる。

「本当にレオンって変わりものですよね。暗殺者を側近に、異国の民を騎士団長に、貧困街の孤児をメイドに、田舎娘を王妃に――そして政敵を親友に。変わりものというより、これでは皮肉屋です。僕の養父などは、こう言うのですよ。『無能な彼はそうすることによってしか優越感を得られない』とね。貴女もそう思いますか?」
「政敵って……?」
「前王と王妃が事故によって急逝されたのは、ヴェルハイム国民なら貴女もご存知でしょう。後継ぎとして名前が上がったのは二名――、前王の長子エルレオン=ヴェルハイムと、弟である僕、レイシェント=ヴェルハイムです」

 レイシェ様が言葉を切ると、がたがたと車輪の音だけが馬車の中に響いた。
 王様が亡くなられたというのは、たしかにずっと前に聞いた覚えがある。でも、今言われて思い出したくらいだから、結構前のことだと思う。

「レオンは十八歳、僕は二十歳でした。ヴェルハイムではいままで長子以外が王位を継いだ前例がありませんが、レオンのあの性格と、成人していないということもあって、僕が王位を継ぐべきだという声は大きかった。田舎にいた貴女は知らないでしょうが、当時王都はだいぶ荒れたのです」

 レイシェ様の言う通り、王様が亡くなったことは知っていても、王都がどんな状態かなどあたしたちには知ることもないし、知ってもそれほど関係も影響もない。だからレイシェ様の言葉を聞いてもあまりピンとこないのだけど。
 つまり、レオンとレイシェ様は王位を争った間柄、ということだろうか。

「当人である僕たちを蚊帳の外にお偉いさんたちの争いは白熱していきました。そして最終的に、王都の混乱をおさめた方が王に相応しいという話になりました。どちらが王になるべきかで民をほったらかして争っていたのはお偉い方でしょうに馬鹿げた話ですよね。さて、今のヴェルハイム王都を見ればお分かりでしょうが、王都の混乱は見事に収まったわけです。さて、それは誰の手腕によるものでしょう」

 まるでなぞなぞ遊びでもするように、レイシェ様がにこっと笑ってといかけてくる。
 そんなことを聞かれても、あたしはレイシェ様の言葉を理解するだけでも精いっぱいで、まるで考えられないんだけど。でも実際、今レオンが王様ということは、レオン……なんだろうか?
 でも、すぐに答えを教えてくれたレイシェ様によって、その答が間違っていたことを知る。

「……エンネリーゼ=ヴェルハイムです。彼女の采配は見事なものでした。何一つとってもね。王としてもっとも相応しいのは彼女だと、誰もが認めざるを得ないほど――彼女は天才です。けれど、レオンや僕でさえ若すぎると言われていたのにエンネは当時僅か八歳。しかも女性です。そして彼女自身も王位を望みませんでした。彼女の望みは、今まで通り長子である兄・エルレオンを王位に据えること。そうすれば自分が影で彼を支え続け、誰よりも見事に国を治めて見せると。その口上も立派なものでした」

 そのときを思い出すように、ふふっとレイシェ様が声を上げて笑う。
 その笑い声がほんとうに楽しそうで、あたしはついまじまじとレイシェ様を見てしまった。
 レイシェ様の笑顔を信じてはいけない、そうは思っているけれど、でも本当に、その笑顔に他意は見えなくて。エンネの話をするレイシェ様の表情は愛しそうで、憎しみなどというマイナスな感情はどうしても見つからなかった。

「レイシェ様は、王様になりたかったんですか?」

 だから、思わず率直にそんなことを問いかけてしまった。
 恐怖心はいつも間にか薄らいでいて、あたしとレイシェ様の周りの空気も、庭園を歩いていたときのあの空気に戻っているように感じる。
 否定して欲しい。
 レイシェ様が、どうしても悪い人に思えなくなってきて、あたしは心の底でそんなことを願った。

「さあ、どうでしょう。わかりません。でも少なくとも僕の養父や一部の貴族は、僕に王となって欲しかったようです。それはエンネにもわかっていたんでしょうね。僕と養父は貴女の田舎よりも辺境のフラムフィールド地方を治めよと命じられました。事実上の王都追放です」
 そこで初めて、レイシェ様の声に苦みが混じった。

「でも父はレオンを失脚させようと、僕がいくら止めても追放されてからも色々と策をめぐらせていました。でも僕も父を止める一方で、ずっとレオンとの間にわだかまりを感じていました。僕は、レオンを親友だと思っていました。父はどうだか知りませんが、僕はレオンが王になるならそれで構わなかったし、力になろうと思っていた。なのにレオンは、僕をも父と一緒に追放したんです。エンネの采配ならまだ理解できた。でも彼女は僕に言いました。これは兄の采配だと」

 苦しそうなレイシェ様の声を聞くうち、あたしはひとつのことを確信していた。
 レイシェ様はあたしに、レオンの心が知りたいかと問いかけてきた。知りたいなら、試してみるかと。

 でも、本当にレオンの心が知りたいのは……レイシェ様の方だったんだ。  



BACK / TOP / NEXT

Copyright (C) 2012 kouh, All rights reserved.