「あ、ニナ?」

 話に興じていたあたしはノックの音に引き戻されて、扉に向かってあたしは思い当る名を呼んでみた。
 でも、帰ってきた声は、思っていたのとは違うものだった。

「いえ。レイシェです。今いいですか?」

 その声を聞いて、ふっとユラハさんから笑顔が消える。
 でも、感じていた近寄りがたさはもうすっかりなくなっていた。
 ユラハさんと話をしてわかったけれど、彼は『剣の民』として、剣の仕事にかけては並々ならぬプライドがあるみたい。
 目つきが鋭いから、黙っていると睨まれている気がするだけで、喋ってみたらそうでもないってことがよくわかった。

 ともあれ、意外なノックの主に、あたしは少し驚いた。
 
「レイシェ様……?」

 扉を開けようと椅子を下りたあたしを手で遮り、ユラハさんが対応に出る。

「ラナに何の用だ」
「……随分仲良くなったようですね? レオンに怒られてもしりませんよ」
「用を聞いている」
「そんなに睨まないで下さい。僕が用があるのは貴方ですよ、ユラハ」

 そんな会話を交わすユラハさんの後ろから、そっとレイシェ様を伺い見ると、緑色の瞳と視線がぶつかった。

「朝はすみませんでした、ラナ。二度と貴女に嘘はつきませんから、どうか許して下さい」

 あたしの視線に気付いたレイシェ様が、そう言って頭を下げる。その顔は本当に申し訳なさそうだった――痛々しくなるほどに。
 そんな顔を見ていたら、嘘を吐かれたことなんて些細なことに思えてきた。別に人を傷つけるような嘘でも、何か不都合があるような嘘でもなかったのだから。

「いいんです、気にしてませんから。朝はありがとうございました。凄く楽しかったです」

 ぺこりと頭を下げてからもう一度レイシェ様の顔をうかがうと、ほっとしたように微笑んでいて、あたしもほっとした。

「――それで、オレに用とは何だ」
「ああ、すみません。レオンが呼んでいます」

 痺れを切らしたようなユラハさんの声に、レイシェ様があたしから視線を外して答える。

「ラナとは僕が一緒にいますから、執務室までお願いします」
「……ヴェイルはどうした」
「別の仕事に行っているようですが。……暗殺者より信用がないとは、心外です。あなたも、レオンから聞かされている筈。城に出入りする者の中で、信用していい者とそうでない者を。僕はどちら側ですか?」
「……」

 二人とも声は穏やかだけど、周囲の空気は何故かピリピリしている。
 はらはらしてそれを見守っていると、天の助けかというニナの声が割って入った。

「レイシェント様、ユラハ様。一体どうされたのですか」

 本を何冊か抱えたニナが、レイシェ様とユラハさんを交互に見上げて問いかける。
 それをきっかけに、二人の空気が一瞬だけふっと緩んだ。――いまだ。

「あ、あの、ユラハさん! 行ってきていいですよ。ニナもいるし、あたしレイシェ様と待ってます。それに、別に危ないことなんてないですよ。エンネとも一応は和解しましたし」

 勇気を出してそう声を上げると、ユラハさんは少し迷うようにあたしを見つめ返してきたけれど。

「……わかった。フラムフィールド卿、あとを頼む」
「ええ」

 ユラハさんが部屋を出て、かわりにレイシェ様が入ってきて、ニナが扉を閉める。

「ラナ様、本をお持ちしました。余計なことかもしれませんが、お暇なときご覧頂ければと……」
「ありがとう、ニナ。とても嬉しい。それと……この前は怒鳴ってごめんなさい」

 言えないままだった謝罪の言葉を言うと、ニナは小さく首を振って、あたしが大好きな温かい微笑みを見せてくれた。
 その微笑みで、あたしの胸につかえていたおもりがひとつ、すっと外れて溶けていく。
 あたしも精いっぱいの微笑みをニナに返すと、さっそく本を受け取って、テーブルに戻ってそれを広げた。

「それは、ユイーチェルという国ですよ」

 適当に広げたページにある写真を見ていると、横からニナがそう教えてくれる。
 聞き覚えがあるその国の名前に、あたしははっとした。――ユラハさんが生まれた国だ。
 家も、木も、見たことないものばかりで、ニナの言う通り写真は見ているだけで楽しかった。
 子供みたいに本に夢中になるあたしに、レイシェ様が声をかけてくる。

「ラナ、僕も一緒に見ていいですか?」

 いけない、レイシェ様のことを忘れていた……。

 慌ててはいと返事をすると、ニナがお茶を入れますね、と言って、テーブルの上のティーセットを持って立ち上がる。
 反対に、レイシェ様はにこにこと笑いながら、あたしの方へと歩いてきた。

 けれど――その二人がすれ違った瞬間。  突然ニナは足を止めて引き返し、あたしとレイシェ様の間に割って入った。
 見たこともない、怖い顔をして。

「……さすが、スラムの野良猫は鼻が利きますね」

 そして、皮肉めいた声音でそんな言葉を吐いたレイシェ様の顔からは、いつもの笑顔が消えていた。  



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