その日の夜は、あたしは久々にゆっくり眠ることができた。
 というのも、あのあとすぐにレオンはお城の人に引っ張られていき、それきり戻ってこなかったのである。
 夜中に誰かが攻めてくるということもなく、目が覚めたらカーテンの向こうはもう明るかった。

 二日ほどわけのわからない日が続いたけれど体内時計はまだ生きてたようで、陽の高さを見るに、ちょうどいつも起きてる時間だ。といって何かすることがあるわけでもなく、また勝手なことをしてニナを困らせるのも気が引けたので、ニナが部屋を訪ねてくれるまであたしは辛抱強くむずむずするお尻と戦った。

「申し訳ありません、ラナ様。後で本でもお持ちしますね」

 そんなあたしは、余程つまらなそうな顔でもしていたのだろうか。
 訪ねて早々、ニナがそんなことを口にして、あたしは慌てて顔に笑顔を張り付けた。

「う、ううん。ごめんね、気を遣わせちゃって……」
「いいえ。足を怪我されてはお暇でしょう」
「怪我はもう本当にいいの。昨日だって下まで歩いて行ったくらいだから、本当に大丈夫なのよ。だからこそちょっと退屈かなって……」
「けれど、怪我が治ればラナ様には王妃様となられるためのお稽古事を受けて頂くことになります。そうしたら忙しくなりますから、今はお休みになるべきです」

 そんなことを聞くと気が重くなる。
 王妃様のお稽古事などをあたしに受けさせて、一体どうするつもりなのだろう。
 まさか本当にあたしを王妃に? ……ううん、やっぱりそんなこと考えられない。
 一体どこまで昇らせて突き落とす気なのかと怖くなる。王妃として扱われれば扱われるほど、処刑台への階段を登らされてる気分になるのだ。
 あたしはなんだか惨めな気分で真っ白なシーツをぎゅっと握りしめた。

「……本なんて持ってきてもらったって、あたしどうせそんなに字が読めないもの」
「では写真が載ったものはいかがでしょうか。異国の風景が載っている珍しいものもあります」
「字も読めないような貧しい娘が、本当に王妃になれるだなんて思っているの!?」

 思わず叫んでしまって、でもニナの驚いた顔を見て、すぐにあたしは後悔した。
 ニナはあたしのことを考えて色々言ってくれているのに、これじゃ完全な八つ当たり。最低だ。
 でも、いつも心の中で重く渦巻いている不安を、もう自分じゃどうしようもできなくなっていた。
 だからって、ニナにそれをぶつけていいわけはないのに。構えないで話ができるのがニナしかいなくて、あたしは多分ニナに甘えていたんだ。

「ラナ様」

 ニナがあたしを呼ぶ。その声は、とくに悲しむ風でも怒ったようでもなかったけれど、あたしはびくりとして目を固く閉じてしまった。
 でもシーツを握っていた手に温かな何かが触れて、目を開ける。
 見ると、ニナが両手であたしの手を握っていた。

「わかりますよ。ラナ様のお気持ちはよくわかります。だから気にしなくていいんですよ」
「ニナ……」
「私だって、お城で働くことになるなんて思いませんでした。読み書きができなかったのは勿論、綺麗な服を着たことも、あたたかい食事をしたこともありませんでした。偉い人なんて大嫌いでした。ここに連れてこられてからも、ずっと騙されていると思って周り全部を疑っていました」
「…………」

 小さな声でニナが囁く。
 ……あたしと同じだったんだ。そう思う反面で、メイドと王妃じゃ全然違うって、納得できない自分がいる。
 それはニナも解っているんだろう。手を離すと小さく付け加えた。

「私ですらそうでした。突然王妃にと言われたラナ様の戸惑いはごもっともでしょう」

 いつものように穏やかに笑うニナに、あたしは聞いてみたかった。
 今はレオンを信用しているのか。何があって信用できるようになったのか。
 でも怖くて聞けなかった。どうして怖いと思うのかもわからなかった。
 あたしはそれを聞いて、レオンを信用してしまうのが怖いのだろうか。どこかで信用したいと思っているから、そう思うのだろうか。
 自分でも、もう自分の気持ちがよくわからない。

「レオンは……何を考えているんだろう」
「さあ……、それは誰にも解りかねるのではないのでしょうか。何せ、陛下ですし」

 ぽつりと零してしまった独り言に、ニナが苦笑交じりにそう答える。
 でも、何せ陛下、その言葉にやけに説得力があったので、私もつい苦笑してしまった。

「それにしても、昨日からちっとも来ないのね」
「陛下ですか? お会いになりたいですか?」

 レオンの名前が出たのでふと思い出しただけなんだけど、ニナにそんな風に聞かれてあたしは慌てて胸の前で両手を振った。

「ち、違うわよ。ただ、あんなにまとわりついていたくせに……」
「お寂しいのですね」

 だから違うって。
 天然なのか、もしくは解っていてあたしを苛めているのか、にこにこと笑うニナの表情からは判別がつきかねる。

「ああ見えて陛下は忙しいお方です。ご辛抱下さいませ」
「……そうなの? レオンは、忙しくないって言っていたわ。まつりごとはエンネがやっているからって」
「確かに内政は全てエンネリーゼ様の采配によって執り行われていますが、国王陛下であらせられる以上、表に立つのはエルレオン様です。ラナ様をお迎えにいくのに城を数日あけられましたので、その分の埋め合わせもあり、昨日ラナ様を訪ねたのも仮眠を削ったのではないでしょうか」

 ニナの答に、あたしはまた言葉を失くした。
 そう忙しくはないと、自分はただのお飾りだからと言っていたのに。全部嘘じゃない。
 これじゃますますレオンのことがわからない。
 別にわかりたくもないのに、どうしてか胸が痛かった。

「ねえ、ニナ――」

 どんどんもつれていく頭の中をなんとかしたくて、話を変えようとニナを呼ぶ。
 けれど彼女はあたしではなく、部屋の入り口の方へ顔を向けた。彼女がそうしたのは、外から聞こえてくる口論のせいだろう。あたしにも聞こえたから、すぐにわかった。そしてこの声は――ヴェイルさんと、レイシェ様?

「ラナ様、私、見て参りますね」

 そう言って扉に向かうニナを、あたしは不安な気持ちで見送ったのだった。



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