庭園を吹き抜ける温かなそよ風が、身なりの良いその男の人の髪をさらさらと揺らす。
 ベージュ色の髪にはややアッシュが掛かっていて、どことなく神秘的な雰囲気を纏っている。
 でも宝石みたいなエメラルドの瞳があたしを映すと、彼はにこっと穏やかな笑顔を浮かべた。
 その、温かみのある優しい笑顔に警戒心を削がれて、あたしは慌てて頭を下げる。

「あ、あの……こんにちは」
「こんにちは」

 だいぶ間抜けな挨拶をしたと思うけど、彼はそんなあたしを嘲笑ったりからかったりしなかった。
 優しい声で挨拶を返してくれて、それから丁寧に問いかけてくる。

「失礼、レディ。もっと傍に行ってもいいですか?」
「は、はい……い、いえ、でも……」

 すっかり見惚れてしまっていたあたしは、つい流されるように返事をしてしまった。
 派手で威圧的なレオンとは対照的な、落ちついた優しい印象の美貌は、見ていて安らぎを覚える。それでいて、表情は終始柔らかな笑顔を浮かべているから、ついつい川に流されて運ばれていくように彼の言葉に従ってしまいそうになる。
 でも、あたしは寝巻き姿のままなのだ。いくらこれまで見てくれを気にする余裕がなかったからって、これが相当はしたない格好であることくらい自覚できる。それで言葉を濁したのだが、笑顔の彼はもう既に、あたしのすぐ前まで近づいていた。
 
 そっと彼が伸ばした手が頬に触れて、心臓がきゅっと収縮する。
 爆発させられそうになるレオンとは、どこまでも対象的な印象の人だ。

「……可愛いね。さすがレオンのお姫様。期待していた通りだよ」
「あの、あなたは?」

 さっきからちょこちょこ彼の口からレオンの名前が出る。あたしのことも知っているような口ぶりに、あたしは気になる気持ちが止められなくなって聞いてみた。
 すると彼はあたしから手を離し、うやうやしくそれを胸に添えて腰を折る。

「失礼しました。僕は、レイシェント=フラムフィールドと申します。レイシェとお呼び下さい」
「レイシェ……さん。レオ……陛下とは、その、どんな……」

 関係なんですか、と聞いたら失礼だろうか。でもレオンのことをレオンと呼び捨てるくらいだから、きっと身分の高い人に違いない。
 慌ててあたしは口を噤んで、もう一度ふかぶかと頭を下げた。

「ごっ、ごめんなさい、レイシェ……様。あたし――」

 レイシェ様がなかなか答えてくれないので、びくびくしながらぎゅっと目をつぶっていると、頭の上から「んー」と間延びした声が降ってきた。

「僕とレオンの関係か……、そうだな。まぁ、親友、かな」

 答えてくれなかったのは、あたしの非礼に怒っているのではなく、単に答を考えていただけのようだった。
 拍子抜けして目を開けて、改めてレイシェ様を見る。相変わらず笑顔だったけれども、少し困ったような色があった。

「そう思っているのは僕だけかもしれないから、正確ではないかもしれないけどね」

 寂しそうな口調に、なんと言っていいかわからないでいると、そんなあたしに気付いてレイシェ様はすぐに表情から憂いを消した。

「今度は貴女の名前を聞いてもいいですか? レオンの姫君」

 聞かれて初めて、あたしは名乗りもしないで相手のことばかり聞いていた自分に気付いた。
 恥ずかしさに頬を熱くなる。逃げ出してしまいたかったが、レオンの姫と呼ばれるのには抵抗があった。

「……ラナ。ラナ・ベイリーです」
「可愛らしい名前ですね。ラナと呼んでも構わないですか?」
「は……はい……!」

 レオンとは大違いだ。
 親友だと言っていたけど、こんなにタイプが違って果たして仲良くなれるのだろうか。
 不思議に思っていると、急にふわりと体が浮いた。

「……え!? あ、あの!?」

 レイシェ様が突然あたしの体を抱き上げたのだった。ずっと笑顔なのと柔らかい物腰のせいかレイシェ様は線が細く見えたけれど、いざ抱かれてみると思ったよりずっとがっしりしていて、もがいてみてもまったく意味を成さない。
 軽々とあたしを抱き上げたまま、レイシェ様は城の中へ向かって歩き出す。

「そんな格好で外にいてはお風邪を召しますよ、ラナ。どうかお部屋までお送りすることを許して下さい」
「いえ、あの、あたし、自分で……」
「淑女を素足で歩かせては末代までの恥です。僕では不服でしょうがご辛抱下さい」
「ふ、不服だなんて、そんな。レイシェ様の方が、ご迷惑なのでは……」
「こんな可愛らしいお姫様を抱くのが迷惑な男がどこにおりましょうか」

 それは冗談か嫌味のような言葉だったろう――レイシェ様が言ったのでなければ。
 この人が言うと、そんな大仰な台詞がとても魅力的に聞こえる。まるで自分が本当にお姫様になったような――
 ――って、何を考えているのだろう、あたしは。
 あんなに騙されないって思っていたのに、レイシェ様と話をしていると、簡単に流されそうになる。
 いけないと思いつつも夢見心地で抱かれていると、急にレイシェ様が立ち止って、あたしははっと我に返った。
 何かあったのかと思って周囲を見るけど何もなかった。不思議に思って見上げると、ふとレイシェ様が、考え事でもするように首を傾げる。その横を――ヒュン、と何かがかすめて行った。

 なんだろう、と思って見ていると、はらりとレイシェ様の髪が数本舞い落ちる。

「姫君をこちらに渡してもらおうか」

 突然声がして振り返ると、さっきは誰もいなかった筈の回廊に、ヴェイルさんが立っていた。  



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