――また夜が来てしまった。
 通された部屋で、当然のように一緒にいるレオンと、あたしの家族全員で寝ても広々使えそうなベッドを見て、あたしはいよいよ身を固くする。

「さぁ、キャサリン。今日こそ……」
「ま、待って、ちょっと待って!」

 色気たっぷりの声使いでベッドへと追い詰められて、あたしは半ば蒼白になりながら、必死にそんなレオンを制止した。
 そんなあたしに、レオンが不満そうに歩みを止める。

「俺が相手で何が不足と言うのだ」
「ふ、ふそくっていうか……、なんていうか……」

 この人は、正気なんだろうか?
 本気で、あたしみたいな、貧乏村娘と枕を共にしようとでも言うのだろうか?
 けれど冗談だと思うにはレオンの目は本気すぎて、笑ってすませようという空気ではない。
 そんな視線に射すくめられていると、ふっと突然その金色の瞳が緩む。

「もしかして、初めてだから恐ろしいのか?」

 突然そんなことを言われ、あたしはかぁっと顔が熱くなった。
 兄弟の世話や畑仕事、家事に追われていたあたしに、恋を暇している暇などなく。
 男の人の手を握ったことすらないあたしが、一夜を共にする経験などあるわけがない。
 でも、レオンの言葉が図星かというとそれはちょっと違う。初めてだからとか、それ以前の問題なのである。
 そんなあたしの胸のうちなどお構いなしに、レオンは勝手に自分の考えが正しかったのだと思い込んでいるようだった。

「そうか。だが案ずるな」

 またずいっと身を乗り出すと、レオンの手があたしの顎にかかる。

「俺も初めてだ。だから何も問題ない」

 そんな問題ではありません。
 それに、言葉に信憑性がありません。
 あたしを見て妖艶に笑うレオンの涼しい瞳を見ていると、逆に手慣れているような印象すら受ける。
 でもこんな展開に全く縁のないあたしは、詰め寄られればただあたふたするしかない。

 レオンに顔を近づけられて、あたしはついに悲鳴を上げた。

「い、いやっ!!」

 思わず顔を背けると、でも意外なことに、簡単にレオンの手は離れて行った。
 なんと言われるのか、びくびくしながら目をぎゅっと閉じて言葉を待つ。
 だけど、レオンは何も言ってこなかった。
 さらに迫ることもなく、あたしを責めることもなく、静寂だけがあたしの耳を打つ。
 しばらくそのまま時間が流れて、あたしはようやくおずおずと顔を上げた。
 そうしてあたしが目にしたのは――

 レオンの、酷く傷ついたような表情だった。

「……あ……」

 ずるい。
 そんな顔されたらずるい。
 優しく言い寄られても、強引に腕を引かれても、あたしは絶対に騙されないって頑なになれた。
 でも、そんな傷ついた顔をされたら……あたしまで心がズキリとなる。
 頑なに閉ざしている心が開きそうになる。
 駄目だ。信じれば、絶望が待っているだけなのに。
 なのに、そう思いながらも、あたしは小さく呟いてしまっていた。

「ごめんなさい……」

 レオンが、少し驚いたようにあたしを見る。
 それから、あたしの零した言葉をゆっくり咀嚼するようにしばらく時間を置いたあと、右手で優しくあたしの髪を撫でた。
 どきりと、心臓が波打った。
 駄目だ。駄目だ、騙されるなあたし。……でも。

「どれくらい待てばいい……?」

 レオンの声だとすぐにわからないほど、弱々しい声で。
 そう問いかけるレオンに、咄嗟には答えられない。

「……わからない。でも今日は、もう休ませて。一人になりたいの……」

 そう言うのが精いっぱいだったけど、レオンはわかったと頷くと、そのまま部屋を出て行った。
 出て行く瞬間、呼び止めそうになってしまった自分に驚きながら、あたしはレオンと言いかけた声を喉の奥へと押しやった。



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